男は背中で語る、フィレンツェ!LeicaとFuji XT-1

どうも癖のようで、海外だけではないが陽が昇る前にそそくさとカメラ片手にホテルから出てしまう。

パンフを見たり下調べもしない。見ればついつい、そこに行かなくては!となる優柔不断な自分がいるのだ。

100回シャッターを切ったら納得できる写真が一枚あればそれでいい!

一枚? あればいい、ま!撮影時の緊張感が無いと言われれば返す言葉も無い。

アルノ河の橋上で撮った一枚だ、気に入っている。男性の後ろ姿に何か雰囲気がある。こんな朝早くに・・・どんな仕事をしているのだろう・・・。

 

後ろ姿は自分には見えない、男は背中で語る!とか、後ろ姿を見せろ!子は親の背中を見て育つなどと「背中」や「後ろ姿」は男そのものを表す言葉だと思う。背筋をピンと張り視線はまっすぐ、颯爽と大股で歩く姿に比べ、背を丸め目線は下・・・

大きな違いだ。

男の背中はその人の生き様そのものではないだろうか。

鏡の前に立てば嫌でも自分の顔や体つきはわかる。

しかし、自分の背中は自分で直接見ることはできない、ここに意味があるのではなかろうか!

妻や子供達の目に自分の背中や後ろ姿はどう映っているのだろうか!こんな事を考えることはあまりないだろう。

貴方!後ろ姿が素敵よ!なんて言われれば意識はするだろうが

まず有り得ない。

私は出来る限り、背筋を伸ばし胸を張り歩くよう気をつけているつもりだが、電車内でガラスに映る自分を見て、ハッと我にかえることがある、いかん・いかん、ただの疲れたおじさんになっている。

その人の背中がその人の人生そのものであることが最近わかってきた。 

背中が語る!背中にその人の人生を見る!とはおそらく後にも先にも、私にとって父親と「この方」しか居ないだろうと思う。

たまにしか会わない遠く離れて暮らす父親そのものが背中だ!

 

また私が大変お世話になっている「この方」は今年81歳になる。常に背筋がピンと張っている、無理をしてピンとしているのでない、中肉中背で特に背中が大きい訳でもない。永くお付き合いさせていただいている。

三歩後ろを歩く、私の目線はその人の背中だ、周囲の景色でも、すれ違う人でもない。

この方が歩んできた、とてつもない大きな人生という背中だ。

 

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クラブ帰りのカップルなのだろうか?

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