日帰り京都、GR その3 哲学の道!ほんとの自撮りとはこれだ!

 

ほんとの自撮り!とはこれだ。ダメ?かい?

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哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道である。永観堂付近にある熊野若王子神社前の若王子橋から始まり、琵琶湖疏水に沿って銀閣寺西の銀閣寺橋まで続く約2kmの散歩道。幅員は広くないが、沿道に多くの樹木が植わる。沿道の横には、熊野若王子神社から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線が山裾に沿って流れ、疎水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉と四季折々に景色が変化する自然の美しい区間で、京都で最も人気のある散歩道として訪れる人が多く、桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。近年は廃業した喫茶店に住み着いた多くの猫が有名になりつつある区間でもある。それより北側は両側が住宅地となり、疏水の両岸に桜並木が植えられている。歩道も東側にもある場合があるが、よく整備されているのは西側だけである。日本の道100選にも選ばれている。

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南禅寺禅センター・光雲寺
南禅寺・禅センターの置かれております門外塔頭の光雲寺の住職として平成十八年 七月末から入寺致しました。

光雲寺は、先住職が退任して 南禅寺派管長猊下が兼務された平成十六年以降、 南禅寺派宗議会の審議を経て「南禅寺・禅センター」としての役割をも仰せ つかっております。現在は一般在家の方、とりわけ修学旅行の生徒さん達の参加者、なかでも 小学生が圧倒的に多く、中学生・高校生がそれに続きます。しかもたいていは 強制的にではなく、自発的に参加することが多いようです。もちろん一般成人 の方々の参加もあります。光雲寺の由来と坐禅堂として使用している仏殿に ついて述べたあと、坐禅の仕方を説明し、十五分の坐禅を二回してから法話 十五分という一時間のコースです。

確かに現在は「学級崩壊」が叫ばれており、また現場の先生方からも現今の 学校教育の惨状を歎く声を良く聞くのは事実です。しかし、当初はざわついて いた生徒達が、坐禅と法話を経て、次第に真剣味を増してくる様子はみものです。 禅センターでは、たとえ小学生が対象であってもレベルを落して話をしないことを 心がけております。難しい理屈を述べるのではなく、禅体験をもととして話を 進めれば、これまで聞いたこともない話に新鮮な驚きを感じるようです。「釈尊が 禅定に入っておられた際には、目と鼻の先で草を食べていた牛が雷に打たれて頓死 したこともご存知ないほどの深い禅定に入られた」というと、突如として水を 打ったように一同静まりかえります。またわが身の拙い体験談を話して、「私が 出家前に神戸の或る道場で大摂心(一週間の集中的修行期間)に参加したときには、 結跏趺坐の痛みを忘ずるために数息観に熱中するあまり、四日目の午後の茶礼でパン と飲み物が配られた際に、それを手にしたまますべてを忘じてしまい、いつ茶礼が 済んだのかも分からないほどでした」というと、みんな真剣そのものの顔つきで こちらを凝視します。

それにしても、前途洋々たる青少年達を相手に、思う存分に坐禅指導ができる というのは、何という幸せでしょうか。坐禅を仕事にできることの法悦とありがたさ をしみじみと味わっている昨今です。

わが身を顧みても、若年の頃の宗教との関わり合いは、自分の人生を決定的に変える 意義をもつと言い切れます。 どうか一人でも多くの若者がこれを機縁として禅や東洋精神に関心をもって頂きたい ものです。もちろん一般の方々のご参加も悦んでお待ちしております。

南禅寺と同じ御開山(大明国師
大明国師
南禅寺開山大明国師 無関普門禅師
建暦二年(1212)に信州でお生まれになった国師は、幼時から新潟の叔父、寂円 のもとへ預けられ、十三歳で得度された。諸方で研鑽を積まれたのち、栄西禅師の法嗣の栄朝に参じ、 さらには、宋から帰国して東福寺の開山に迎えられた聖一国師円爾弁円禅師)の門に入って、五年間 の辛参苦修の日々を送られた。国師はさらに向上の道を求めて、建長三年(1251)、四十歳にして入宋して、 浄慈寺の断橋妙倫禅師に参じた。禅師は一見して国師の抜群の器量を見抜かれたという。国師は浄慈寺で修行すること十年あまりにして、禅師の法を嗣いで帰国された。

帰国後、国師東福寺聖一国師に再謁されてから、得度した越後新潟の寺で 聖胎長養しておられたが、聖一国師の病が重篤なることを聞かれた国師は、七十歳の 老躯をいとわず、遠路はるばるお見舞いに上洛された。

国師が上洛されると、衆望は国師に集まり、東福寺の後住を嘱望されたのであるが、 勢力を有していた東山湛照の徒はそれを快く思わなかった。名利など眼中になかった 国師は、すみやかに東福寺を去って摂津(大阪)に退かれたが、このときに開創された のが光雲寺である。その場所は四天王寺の近辺であったと言われている。

時に弘安三年(1280)で、正応四年(1291)の南禅寺の建立に先立つこと十一年であった。 東福寺第二世の東山湛照が在住わずか三ヶ月にして故あって退寺したあとを承けて、 国師は入寂の日まで十一年間を第三世として全うされたのである。 正応四年(1291)に亀山法皇国師の徳に深く帰依され、その離宮を禅寺として施捨 され、国師を開山第一祖とされた。これが南禅寺の開創である。ただ国師南禅寺 伽藍の完成を見ることなく、その年の十二月十二日に遷化され、後事を第二世の南院 国師(規菴祖円禅師)に託されたのである。

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お腹が空いた、うどん屋があったので!店内見ると日本人や外国のお客様で満席、前の道など歩く姿もないのに、うどん屋だけは満席!どういうこと?

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輸入スパイス粉を使用し、ラードを主軸とした濃厚な特製ルウを1日掛けて練り上げる。これが驚くほどまろやかでコク深い味わいのベースになる。ダシもしっかりと効かせて、具はシンプルにネギと牛肉とタマネギ、そして油揚げ。もっちりしたうどんに、カレーがまったりと絡みつく。一口すすり終わらぬうちに、次のもう一口が欲しくなる。観光のガイジンさんも、店を出る時にはニンマリ笑って満足の味。仕事の合間合間に、明日の分のルウを仕込んでおく。スパイスを馴染ませることで、さらに味が丸くなっていくのだ。特カレーうどん900円、揚げきざみうどん650円、ワカメ入りカレーうどん750円なども。  

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