モノクロームな夜 RyuYudai FUJI FILM X-Pro2 Leica 原宿〜渋谷から下北! スナップフォトはピントが先でなく、チャンスが先にあり!
どうも最近、渋谷の街に元気がないような気がするのは私だけだろうか?
私のような年齢になるとあまり渋谷の街に行く用もないのは確かだが・・・・。
スナップ、スナップフォトは一般的に使う写真用語だ、どういう意味か、今さら説明する必要もない、ささっと撮る写真のことである。
スナップフォトが一番面白い。
スマップでもスナックでもスワットでもスマッシュでもスカッシュでもない・・・・ムムム、搾り出しました。
私のスナップフォトにおける座右の銘は「ピントよりシャッターチャンス」
Leicaあたりでピンを合わせていたのでは思うような写真は撮れない、
まずは言い訳から入ります・・・。
街を歩いていて、お?うん?と感じたらシャッターを押すのだ。
スナップ写真は撮る人の好みがでる、だからわかりやすい、どうしても自分の好みが出るから同じような構図になることが多い。これが悪いということは一つもない。
レンズを通してこちらを見ている人がいるとどうしてもシャッターを押すのに躊躇してしまう、当たり前のことだ。間近で見ず知らずの人がこっちを見ているのにシャッターを押せる人はある意味、変態である。
それでもシャッターチャンスは一度しかないから堂々と撮ればいい、そう思う。
下の写真は二十年ほど前にLeicaで撮ったワンショットだ、とても気に入っている。
この場所で待ち構えて撮ったものではない、狙って撮ったものでもない、
うん?と思った瞬間に首から下げたLeicaのシャッターを押していた!これが正解だ。
ピントが甘い、レンズはヘソのあたりだから少しローアングルっぽくなっている、だからこんな構図になっている。こんな構図?!それがスナップフォトの醍醐味でもあると思っている。ましてや待ち構えて撮る写真はスナップとは言い難い、そこにいやらしい思惑があっては・・・・。
この写真を気に入っている理由は撮ろうと思っても撮れないであろう写真であること、もう一つは偶然撮ったものにしては情報量が多いことだ、私がスナップフォトを撮る場合には情報量も意識している、しかしこの写真は偶然だ、偶然があるからスナップフォトは面白い。前述したが私のスナップフォトはピントが先でなく、チャンス先にありき!
右側の黒ずくめの二人は説明の必要もないと思う、ご覧いただければわかるだろう、左側の「裏窓」、半開きになった店のドアだ、そしてその下の煙草を吸う少し俯き加減の気だるい表情の女のポスター、おそらく劇団関係か、何かの告知ポスターだったと記憶している。
もしドアが半開きでなかったらどのような構図であったか?半開きだからこそ、裏窓そのものが主張している・・・こう考えることも面白い。
建物の灯りのついた二階は人が住んでいる気配も感じさせる、裏窓という名の店の関係者の住まいか・・・、しかし二階に灯りがともっていなかったらどんな写真になっていたのか・・・。
店の壁にむき出しの配管やガスメーター・・・・。
スナップフォトの面白いところはプリントした写真を見たときに、あれはどうか?あの時はどうだったかなど記憶が蘇ることだ。
もちろん、家族の記念写真や友人らの写真もそうだが、少し意味合いが異なる。
家族写真や結婚式の写真は家族や身内で見るものだ、しかし、スナップフォトは他人も見る、ときに写真展にもだす、だから映り込む情報量多いほど、見る人に伝えやすい、そして二十年・三十年経ても、あの時は・・・そうだったよねと記憶が蘇る。
レンズを通してどう情報量を盛り込むか?あまり意識をすると思うような写真は撮れない・・・・。瞬間的に撮るか・撮らないかを決め構図も考える、デジタルだからバンバン撮る。
私の考える写真に映り込む情報量とは情報の多い少ないでなく、写真を見た相手に伝えるためのもの、感じてもらうための情報だ、プリントそのものに写っていない周囲の絵が、想像できるような情報を一枚の写真に盛り込むことができれば最高だ・・・・。